The One with ...

思いついたことや作業メモなどを公開しています

物語の機能とはなにか?


登場人物

青葉:数学苦手女子

花京院:数学好き男子


文学部をでたけれど

青葉と花京院は駅前の喫茶店で,コーヒーを飲みながら本を読んでいる.

さきほどから青葉は文庫版の小説を,花京院は英語で書かれた論文のコピーを読み続けていた.

テーブルを挟んで向かい合わせに座ったまま,お互いに一言も喋らない.

駅前の喫茶店は相変わらず静かだ.純粋にコーヒーの味でいえば,シアトル系チェーン店のほうが青葉の好みだった.でも,おちついて本を読んだり会話ができるという意味でやはりこの古い店を選んでしまう.そしてなにより,会社帰りにここに立ち寄れば花京院と話ができる.約束をしているわけではないので,運がよければ,の話ではあるが.

やがて青葉は開いていた頁にしおりをはさんでそっと閉じると,小説をテーブルの上に置いた.

「ねえ,花京院くん」

 花京院は手にしていた論文から目を離さずに「なに?」とだけ答えた.テーブルの上には計算用紙が散乱している.おそらく書いた本人でさえ,数ヶ月後には判読できないほど乱雑な筆跡で,数式が書き込まれている.

「わたしたちって文学部の出身でしょ?」

「そうだね」

青葉と花京院は某大学文学部の出身だ.2人は同期で同じ研究室を1年ほど前に卒業した.

「会社の子と話をしていて,ふと思ったのよ.文学部を卒業したものの,結局《文学とはなにか》っていうテーマでぜんぜん勉強をしなかったなーって」

「僕らは文学部の中でも数理行動科学研究室だからね.たしかにそういう授業は受講しなかった」

「文学って結局なんなの?わたし,よく分かんないんだよね.4年間も文学部にいたのに」

「ずいぶんざっくりした質問だなあ.それは僕の専門じゃないよ」

「でも考えたことはあるでしょ?だって花京院くんは,わざわざ理学部から文学部に転部してきたんだから」

文学と論文をつなぐもの

花京院は大学2年生のとき,理学部応用数学科から文学部数理行動科学研究室に転部したという,少し変わった経歴の持ち主だった.

「うーん,文学とは何かを答えることはできないけど,文学や物語の持つ機能なら少し考えたことがあるよ」

「ほおー」

「たとえば,僕がいま読み直しているこの論文」花京院は手に持った英語論文をテーブルの上に置いた.

Gale, David and Lloyd Shapley, 1962, College Admissions and the Stability of Marriage, The American Mathematical Monthly, 69: 9-15.

「これはゲールとシャプレーがはじめてDAアルゴリズムを発表した歴史的な論文だ.わずか6頁で,それまでに誰も考えてこなかった問題を明確に提示して,それを解決するための概念と命題を証明した模範的な論文だよ」

「これ,まえにマッチングの説明をしてくれたときにつかった論文だよね」青葉は花京院が置いた論文を手に取った.論文にはところどころ証明をフォローするために花京院が書き込んだメモが残っている.

「こういうのはね,文学の持つ一部の機能を極限まで研ぎ澄ました形態の作品だといえる」

「ちょっとなに言っているかわからない」

「すべての研究には共通の目的がある.誰も解いたことのない新しい問題を提示して,それを解くという目的だ.科学論文というのはね,研究内容の情報を圧縮して,必要なことだけを,効率良く文章化したものなんだ」

「ふむふむ.まあそりゃそうだね」

「情報を伝えるための文章という意味で,論文も文学の一形態だと僕は考えている.だから一般的な文学作品や小説にあって,論文にないものを考えると,逆に文学の本質が分かると僕は推測した」

「う-ん,あいかわらず花京院くんはヘンなこと考えるなあ」青葉は腕を組んで,目をつむった.

「きみは専門的な理論や研究内容や手法を,物語の形式で紹介した本を知ってる?」花京院が質問した.

「たとえば?」

「たとえば・・・・・・,そうだね,ぱっと思いつくところだと

あたりかな」

「『もしドラ』だけ知ってるよ.本屋でちょっと立ち読みしたことがある.表紙が可愛いんだよね」

「『もしドラ』はピーター・F・ドラッカーの経営哲学を,高校野球を舞台にした物語で紹介する入門書だ.原典であるドラッカー自身の『マネジメント』は日本で翻訳版が100万部売れた.ものすごいヒット作だよ.でも『もしドラ』はそれを上回り,なんと270万部も売れた」

「へえー.すごいねえ.そんなに売れたんだ.『もしドラ』は確かにおもしろいし,読みやすいもんね.買ってないけど」

「この現象は,文学や物語の機能を劇的に示している」

「どういうこと?」青葉は首をひねった.

ドラッカーの教えを伝えるという意味で,情報量は原典の『マネジメント』のほうが明らかに多い.にもかかわらず多くの人々は『もしドラ』の方を手にとった.なぜか?」

「そりゃあ『もしドラ』の方が読みやすいからでしょ」

「その通りだけど,問題はなぜ読みやすいのか?という点だ」花京院は質問を言い換えた.

花京院にそう言われて,青葉は考えた.

(読みやすい理由? そんなの《読みやすい簡単な文章》で書かれているから以外にないじゃん)

「えーっと,ストーリーがおもしろいから?」

「それも大きな理由の一つ.ほかには?」

花京院に促されてすこし考えてみたものの,ストーリー以外の答えを見つけることはできなかった.しかたなく,コーヒーを飲みながら青葉は花京院の説明を待った.

「可愛い女の子がでてくるからだ」

青葉は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった. 「え,ちょっと.それ真面目に言ってるの?」

「真面目だよ.もう少し抽象的に言えば,《キャラクタ》の存在ともいえる」

「キャラクタ・・・・・・」

キャラクタの機能

「『もしドラ』にあって『マネジメント』にないもの,それは物語とキャラクタだ.人々を『もしドラ』や『ソフィーの世界』や『数学ガール』に引き込む力の正体の一つ.それが《キャラクタ》なんだよ」花京院が説明を続ける.

「うーん,でも物語風に説明するんだから,キャラクタが出てくるのは当たり前な気がするんだけど」

「その通り.したがって問題の本質は,キャラクタとはなにか?ということだ」花京院はさらに問い直した.

「なるほど.じゃあキャラクタってなんなの?」青葉は身をのりだした.

「キャラクタの正体とは・・・・・・・.ずばり,人だ」

「はあー」青葉はがっくりと肩をおとした.「だからそんなのあたりまえじん」

「いや,きみはキャラクタという現象の,不思議さをまったく理解していない」そう言って花京院は意味ありげに笑いながら,鞄の中から一冊の漫画をとりだした.

「あ,それ私が貸してあげた『ハンター×ハンター』じゃん」 花京院がとりだしたのは,人気少年漫画の単行本だった.彼は頁をめくって,そこに描かれた登場人物の1人を指さした.

「彼は生きているかな?」花京院が質問した.

「そりゃあ,生きているよ」青葉は,やや戸惑いながら答えた.

「ほんとに?どうしてそう思うの?」

「どうしてと言われても,話したり動いたりするんだから,そりゃ生きているにきまっているじゃん」

「確かにこのキャラクタは生きている.喋って,考えて,戦って,怒って,恐れて,泣いて,僕たちと同じように生きている.ところできみは,人工知能やロボットは,僕たちと同じように心をもって生きていると思う?」花京院はパラパラと漫画の頁をめくった.

「うーん,いまの段階では,まだ心をもつとはいえないんじゃないかな.よく知らないけど」

「じゃあドラえもんは?」

ドラえもんには心があるよ.ちょっとそれ,ずるくない?」青葉は質問に答えながら,なんだか騙されたような気持ちになった.

「ロボットに心があるかどうかを疑う人でも,ドラえもんに心があることは疑わない.なぜならドラえもんは命を持ったキャラクタだからだ.でも見方を変えてみると,キャラクタは紙の上に印刷された絵や文章に過ぎない.物理的には紙の上に印刷されたインクでしかないにもかかわらず,僕らはキャラクタを自分たちと同じように心を持った人として認識している.実際には作者が作り出した人工の創造物であるにもかかわらず,僕らにはその想像上の人物が動いて生きているように見える.われわれにとってあまりにもあたりまえの事実だから,それを疑ったりしないけど,これは錯覚に過ぎない」

青葉は少しずつ花京院の真意を理解していった.

「うーん,まあ確かに花京院くんの言うとおりなんだけどさあ.それをいっちゃあ,お終いっていうか.それは言わないお約束なんじゃないの」

「でも僕らは無理してその《お約束》につきあっているわけじゃない.ここが重要だ.作中に人物が登場し,なんらかの台詞を喋ったら,その登場人物がそのとき考えていることを喋ったという風に必ず錯覚する.この錯覚は不可避だ.ではなぜこんな錯覚を起こしてしまうのだろうか?」

「分からないなー.そもそも,そんなこと,考えたことなかったよ」

《物の理解》と《心の理解》

「ポール・ブルームという心理学者が『神は偶然の産物か』という論文のなかで,この問題と同型の問題を考えている.読んだことある?」

「ないない.初めて聞いたよ」

「おもしろい論文なんだよ.彼は宗教には多様な形態が存在するにも関わらず,多くの人々が魂や死後の世界や奇跡や万物主による世界(宇宙)の創造を信じるのはなぜか,という問題を認知科学の観点から考えたんだ.ようするに人が神様を信じるのはなぜか?と考えたんだよ」

「へえー,そんな論文があるんだ.で,どうして信じちゃうの?」

「ブルームの説の主発点はこうだ.まず人間は

  1. 物理的世界を理解できる
  2. 他者の心を理解(推測)できる

と仮定する.物理的世界の理解というのは,重力によって物体が落下したり,摩擦によって物体の運動が停止したりする現象の物理法則を人間が理解できるという意味だよ.こういう物理法則の理解は比較的知能が高い動物や生後六ヶ月の幼児でも可能であることが知られているんだ」

「ふむふむ.たしかにそうだね」

「次に人は,より高次元の能力として,他者の意図を解する能力を獲得する.これによって人は他者の感情などを類推できるようになるんだ.前者を《物理的世界の理解》,後者を《社会的世界の理解》と呼ぶことにしよう」

「なるほど.ようするに人は,モノの動きと心の動きが理解できるってことだね」

「そのとおり.《物理的世界の理解》と《社会的世界の理解》の二重性は,《物体としての肉体》と,《物体とは別の心という存在》の別々の知覚を可能にする.そしてわれわれの社会的世界の理解が暴走した結果,本来は存在しない意図や欲求があたかも存在するかのように知覚してしまうんだ」

「ちょっとなに言っているかわからない」

「例えば,そうだね・・・・・・.カフカの『変身』や,中島敦の『山月記』は呼んだことある?」花京院が聞いた.花京院の口から文学作品のタイトルが出るのは少し意外な気がした.ただし,彼は語らないだけで意外と文学好きなのかもしれないなと青葉は考えている.

カフカは読んだことないけど,山月記は知ってるよ.現国の教科書に載ってた」

「あれは,意識は人のままで肉体だけが虎に変化してしまう話だ.『変身』も主人公の精神はそのままで,姿だけが虫に変わってしまう.僕らは現実にはそんなことは,ありえないことだと知っているけど,物語としては容易に《こころ》と《からだ》の分離を受け入れることができる.他にも肉体間で精神だけが入れ替わったり,精神だけが肉体を離れる物語の例がたくさんある.筒井康隆の『転校生』や新海誠の『君の名は』,古い例だと『源氏物語』がそうだ」

「たしかに,そういうお話しにたいして,誰も『いや,入れ替わらないでしょ』ってツッコまないよね.でも言われてみれば不思議だよね.現実には肉体から精神が離れたりしないってことは知っているのに,フィクションとしてならそれを自然に受け入れるのって」

「心理学者Jesse BeringとDavid Bjorklundらの実験によれば,多くの子供はワニに食べられてしまったネズミの肉体的機能が停止する事は認めながらも,食べられたネズミの精神的機能(感じたり,考えたり,欲求をもつこと)は消失せずに残っていると認識するそうだ.つまり心だとか人格というものが肉体を離れて存在する現象をわれわれは幼い頃からごく自然に受け入れることができるんだ」

「なるほど.で,その話と文学がどう関係するの?」

「さっき言ったように,われわれが世界を理解する方法には大きく分けて2つある.物理的法則の理解と,他者に心があるという理解だ.おそらくこの能力は進化的適合の観点から有利だったんだろう.物理現象を正しく把握できたり,仲間の意思を正確に理解できる個体は,それができない個体よりも子孫を残すのに有利だったはずだ. 《物理的世界の理解》と《心的世界の理解》という世界理解の二重性が,精神と肉体(物体)の分離を可能にする.多くの場合,これらを混同したりはしないけど,時々間違った対象にこれらの理解を適応することがある」

「間違うってどういうこと?」

「単なる物理的な対象に心を帰属させたり,逆に心がある他者をモノのように扱ってしまうんだ.前者によってキャラクタが生きているという錯覚が起こる.心的世界の理解力は時に暴走して,心や意思を持たぬモノに精神を(誤って)帰属させる.つまり文学を文学たらしめる最も重要な要素であるキャラクタは,ぼくらの《他者に心がある》という理解の過剰な適用によって生まれる錯覚なんだ」

「うーん,そっかー.錯覚なのか.ちょっと信じられないなー」青葉はすぐには花京院の説明を受け入れることができなかった.

制御不能なキャラク

「僕の予想では,キャラクタが生きてている,という錯覚は作者自身にも起きる」

「え?作った本人が錯覚するの?そんなわけないでしょ.自分で作ったことを自分が一番よく知ってるんだから」

「これについては証拠がある.多くの作家や漫画家が自分の作ったキャラクタが作中で勝手に動くと述べている.たとえば

ネームでは岩鬼が三振するシーンを描いたのに、ペンを入れたら岩鬼がホームランを打ってしまった(水島真司)

実生活でも,明日の予定がないとしても,人はそれなりに動いていくのと同じで,漫画の中でも,そこに描かれた状況があれば,キャラクターは自然に動くベくして動くものです

描いている僕自身ですら「しまった・・・・・・,これは,仗助勝てないかも」と思うぐらいの状況に陥ってしまいました. (荒木飛呂彦).

架空の登場人物達がお話の中で会話をしたり,事件を解決したりしている.不思議な感覚だ(森博嗣).

作者が創りあげたキャラクターだからといって,それは必ずしも100%作者の意思によって動くということではなく,あたかも自分が独自の意思を持って行動を始めるかのような部分ができてくる.そうした変貌を,「キャラクターが独り歩きする」というのです(藤子・F・不二雄).

このように,キャラクタはしばしばその作者にとってさえ,独立した実在として認識される.ようするに自分で作っておきながら自分で制御できず,自分とはちがう他者として生きているように錯覚してしまうんだ」

「うーん,なんか不思議.自分で書いているのにキャラクタを自分でコントロールできないってどういうことなんだろ?」

「つまり僕らは必要以上に,対象の心を読み取ってしまうんだろうね.たとえ空想上の人物でさえも.人類学者のPascal Boyer は,人がしばしばありもしない目的や意図や設計を見出すことを社会的認知の肥大化(hypertrophy of social cognition)と呼んでいる」

「どうしてそんなことが起こるんだろ?」

「ヒトという種のなかで他者への共感性の高い個体は,間接互恵性によって,他者からの協力行動を得やすい.その結果,適合度が高くなり自然選択によって繁栄したと考えられる.共感性が優れて高い個体は,その知覚のエラーにより,しばしば存在しない意図や目的を人以外の自然物のなかに読み取ったんじゃないかな.ブルームはそれこそが神の原初形態だと考えている.僕らはその能力を受け継いだ結果,キャラクターが登場する物語に自然に引き込まれる」

「それが文学ってこと?」

「僕はね,あらゆる作品は,小説でも映画でも漫画でも研究論文でも,それが次の3要素から構成されると考えている.

  • 物語
  • キャラク
  • 情報

の3つだ.この3要素の配分によって作品の性質が決まる」花京院はテーブルの上に置いた計算用紙に3つのキーワードを並べた.

「小説とか漫画とかはそうかな.でも論文にはキャラクタは出てこないでしょ」青葉は花京院が示した3要素を眺めながら言った.

「論文のキャラクタは確かに,その存在を知覚することが難しい.でも確かに存在するんだ.なにか分かる?」花京院が聞いた.

「論文に登場するキャラクタ?うーん全然分かんない.大阪大学のワニ博士とか?」

「あれは大学の広報用キャラクタだよ.論文はね,作者自身がキャラクタなんだよ.論文を書くとき,作者は《研究者》というキャラクタを演じながら書くんだ.論文という作品形態は,作者というキャラクタを極端に背景化させて,描いた物語なんだ.情報量がとても多いから,可読性はどうしても低くなる.ようするに情報伝達手法としてはもっとも効率的だけど,難しいから読みにくいんだ.だから情報の濃度を薄めて,そのぶん物語とキャラクタにウェイトをかければ,多くの人にとって読みやすい作品ができあがる」

「なるほどー.そんなふうに考えたことなかったな.あ,これもひょっとして《モデル》ってやつ?」

「数学を使わないモデルだよ.文学という現象の構造を抽象化したモデルだ」

青葉は花京院の説明を聞いて,彼がどうして理学部から文学部にやってきたのか,少し理解できたような気がした.きっと彼にしてみれば研究と文学は連続的につながっているのだろう.

(終わり)

 参考文献


おかげさまで 『その問題,数理モデルが解決します』をベレ出版さんより刊行いたしました.

「数学は人生に不要だ」と考える青葉の抱える問題を,数学好きの花京院が数理モデルで解決する,という内容の入門書です.

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https://www.amazon.co.jp/dp/4860645685/

サンプルとして数式の出てこないショートストーリーを書いてみました.

どんな風に2人が対話しているのか,その雰囲気を感じていただければ幸いです.

以上,『その問題,数理モデルが解決します』刊行記念SSでした.